東京の「街」には、それぞれ個性豊かな特徴があります。時代ごとに最も勢いのある街は、東京の「顔」として華やかな文化を築いてきました。その中でも特に注目したいのは、江戸から東京へと移り変わる時代。1868年(慶応4)に明治新政府が発足して「東京府」と改称されてからは、庶民の暮らしにも急速に海外文化が入り込み、東京の街並が大きく変化していきます。そんな明治期と、そして大正期にかけて文化が急速に花開いた東京の顔が、銀座と浅草でした。今回は「街」に造詣が深く、編集者、評論家として活躍中の山田五郎さんをゲストにお迎えし、東京都江戸東京博物館(以下、「江戸博」)の東京ゾーンにある銀座、浅草の街をめぐります。取材・構成:阿部美香
撮影:田中由起子

山田五郎
(やまだ ごろう)

編集者・評論家。1958年東京都生まれ。上智大学文学部在学中にオーストリア・ザルツブルク大学に1年間遊学し西洋美術史を学ぶ。卒業後、講談社に入社『Hot-Dog PRESS』編集長、総合編纂局担当部長等を経てフリーに。現在は時計、ファッション、西洋美術、街づくり、など幅広い分野で講演、執筆活動を続けている。

文明開化の息づかいが感じられる、銀座の街角

「朝野新聞社」
(復元年代:明治10年代 縮尺:1/1)

東京ゾーンをめぐる旅は、朝野新聞社の実物大復元模型が建てられた街角から始まります。

山田:江戸博にはプライベートでも仕事でも何度かお邪魔しています。この場所で写真を撮ったこともありますよ。こうしてあらためて朝野新聞社の建物を眺めてみると、維新からわずか十数年でよくぞここまで西洋っぽい建物を建てられたものだと、当時の大工さんたちの技量と柔軟性に感心します。この朝野新聞社が建っていたのは、銀座四丁目の交差点。今の和光ビルがある場所だったんですよね。

当時の銀座四丁目の交差点には、1874年(明治7)に「朝野新聞」を創刊して新政府への辛辣な批評で人気を博した朝野新聞社をはじめとして、「曙新聞」や「東京横浜毎日新聞」など、いくつもの新聞社が社屋を構えていました。では明治初期の銀座は、いったいどんな様子だったのでしょうか? そんな疑問にお応えする展示が、明治10年代の銀座の様子を表した「銀座煉瓦街」の復元模型です。

山田:銀座という街は、災害を乗り越えるたびに進化してきたんですよね。この銀座煉瓦街が作られたのも、明治5年に起きた大火災からの復興で、政府が西洋風の街作りを進めたから。関東大震災後にはさらに近代化が進み、道路も拡張されています。さっきの朝野新聞社があるところが四丁目の角で、その向かい側にある小さな小屋は、今も残ってる交番かな?

  • 「銀座煉瓦街」(復元年代:明治10年代後半 縮尺:1/25)

  • 中央にあるのが、現存する銀座四丁目交番(「銀座煉瓦街」模型より)

近代的な商店が集まる街並をウィンドウショッピング

山田さんがおっしゃるように、銀座煉瓦街は1872年(明治5)の銀座大火の教訓を受けて、西洋の街を模した煉瓦造りの不燃家屋を建設しました。再開発により家賃も高額となったこの地域には、裕福な商人が移り住むようになり、近代的な商店が軒を並べるようになりました。

山田:江戸時代の銀座は職人の街だったせいか、明治のこの頃も今とは違って商店だけじゃなくモノを作る製造業者が目につきますね。この模型には含まれていませんが、江戸時代に「からくり儀右衛門」と呼ばれた発明家・田中久重も、維新後に上京して現在の銀座八丁目に後の東芝の前身となる電信機器製作所を開いています。同じく銀座八丁目にある資生堂も五丁目の鳩居堂もこの頃からあったはず。「銀座煉瓦街」の模型は商店の様子も細かく再現されているから、今の街並を思い浮かべながら見るとより一層、楽しめますね。

銀座煉瓦街の模型を前にして、子供のように目を輝かせる山田さん。ここには、文明開化を象徴する銀座独特の雰囲気が約550体の人形で再現されていて、街を行き交う人々のファッションを観察する楽しみもあります。

山田:日本人の服装は明治維新後すぐに西洋化したと思われがちですが、実は洋装が一般庶民の普段着として定着してくるのは大正以降。女性の場合はさらに遅く、第二次世界大戦後です。大正末期にモボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)が流行し、銀座には洋装のモガがたくさん歩いているかのように報じられましたが、今和次郎(「考現学」の創始者、画家、建築家、デザイナーとしても活躍)が銀座で定点観測を行ってみたら、実際には洋装の女性はほとんどいなかったとか。当然、明治初期のこの時代は、まだまだ和装が主流だったことがこの模型を見てもわかります。一方で、すでに洋傘はファッションアイテムの一つになっていたことや、和装の男性も帽子だけは洋装を取り入れていたことなど、当時の流行がよくわかって面白い。インバネスコートを原型としながらも和服の上から着られるように袖ぐりを大きく空けた「とんび」と呼ばれる外套なんかは、ファッションにおける和洋折衷の典型ですね。

  • 洋傘や帽子など、一人一人の服装にも時代の変化が感じられる(「銀座煉瓦街」模型より)

一つ一つに目を凝らし、当時の風俗に思いを馳せる

建築物の様子とともに、当時の人々の暮らしぶりにも想いを馳せられる銀座煉瓦街の模型。「朝野新聞社への投石事件」や「鉄道馬車の馬丁と人力車夫の喧嘩」「三河屋(瀬戸物屋)万引き事件」など当時のできごとを、動く模型で定期的に見ることができます。

山田:動く模型によるショータイムは、楽しみながら当時の社会情勢を知ることができるので必見ですね。江戸博の展示は、じっくり見れば見るほど面白いポイントが次々に見つかって、なかなか次に進めなくなるから困ります(笑)。この模型も、奥のほうまでちゃんと作り込まれていて、裏路地には江戸時代の暮らしがまだ残っていたりもする。欲を言えば、せっかくここまで作り込んであるのですから、もっと街全体を見渡せるようにしてほしいですね。

現在は改修中で、2015年3月28日にリニューアルオープンする江戸博の常設展示室。リニューアル後は山田さんの要望にもお応えできるよう、銀座煉瓦街の模型が俯瞰で見渡せるようになります。明治初期の銀座のウィンドウショッピングとファッションチェックを、ますますじっくり楽しめることでしょう。