あの人と行く、なるほど江戸博

作家・橋本治とめぐる高度経済成長期の東京 せわしなく駆け抜けた時代の「風景」を取り戻す旅

時代の転換点となった、1964年の東京オリンピックのポスターに見る
「ミスター日本のデザイン」

1964年の東京オリンピックは、戦後日本の明確な転換点でした。そのことを象徴するかのように、日本の美術史を振り返る橋本治さんの『ひらがな日本美術史』(全7巻)も、東京オリンピックで締めくくられています。橋本さんは、グラフィックデザイナーである亀倉雄策が手掛けたオリンピックのポスターを、「戦後日本が『高度経済成長の日本』へ移行する時期の『ミスター日本のデザイン』だった」と捉えているそうです。

(奥から)
「五輪旗」(1964年 / 昭和39)
オリンピック関係施設で、国旗や東京都旗とセットで
掲揚されたものと考えられる五輪旗。
「表彰台(複製)」(1964年 / 昭和39)
道吉剛 / デザイン 秩父宮記念スポーツ博物館 / 原資料所蔵

  • 「東京オリンピック公式ポスター」亀倉雄策 / デザイン(*)

橋本:当時の日本人は、オリンピックがどれほどの祭典なのか正確なイメージを持っていなかったので、始まってから「こういうものなんだ!」と気づいたというのが正直なところでしょう。そもそも、陸上競技の中継を観るということ自体が初めての体験でしたね。走るだけなら勝ち負けがわかるけれど、走り高跳びと走り幅跳びって一体何……? と困惑したことを覚えています。はじめは「何がオリンピックだ!」と斜に構えていたのですが、いざ始まるとすっかり夢中で観てしまいました(笑)。

当時、過去最高の出場国数を誇った東京オリンピックは、それに対応するべく、競技施設や周辺設備を一から作り、それまでで史上最大規模の大会となりました。市川崑監督による公式記録映画「東京オリンピック」は、巨大な鉄の球で古い建物を壊すシーンから始まります。それまで、戦前の東京に戻ることを目指していた街が、戦前の東京を壊して新たに作り替えていくことを覚え始めたのが、東京オリンピックだったのです。

*東京オリンピック公式ポスター……東京オリンピックでは、一体的な広報をはかるため、シンボルマークを制定し、統一的なデザイン計画が組まれた。1961年(昭和36)、日章に金字の五輪を配した亀倉雄策(1915~1997)のデザインが採用され、ポスターとして掲示された。このデザインは冊子やグッズなどさまざまなものに配され、開催の気運を高めた。

モダニズムの一瞬の輝きを、往年の団地の中に
発見する

1950年代半ば以降、多くの労働者が地方から都市に移り住むようになりました。都市で出会い、結婚する男女が新しい家庭を築き、彼らの住まいとして団地の建設ラッシュが始まりました。今回のリニューアルでは、「ひばりが丘団地」(1959年竣工 現在の西東京市・東久留米市)の一部を復元。建具、サッシ、ドアの枠にいたるまで実際に使われていたものを使用し、団地の一室が再現されます。ダイニングキッチンや水洗トイレといった、当時まだ珍しい住宅設備を備えていた団地の暮らしは、特に中堅のサラリーマン層にとって憧れの対象でした。入居の応募倍率も相当高かったといいます。

橋本:ひばりが丘団地には、当時の皇太子夫妻をはじめとした要人が視察に訪れていましたよね。実はリアルな団地に入ったことはないのですが、そうやって頻繁にテレビや映画の舞台となっていましたから、イメージは浮かびます。

江戸博ではひばりが丘団地にお住まいになっていた方々から聞き取り調査を行い、家具や台所用品まで再現を試みています。様々な生活用品が作られ、便利なものが次々と入ってくる団地の暮らしぶりの一端が垣間見られる予定です。

橋本:高度経済成長期以降、住まいに合わせて、物がどんどん小さくなってきました。ほら、昔のものってやたらと大きかったでしょう? 何に使うのかはよくわからないけれど、とっても大きなざるがあったり(笑)。それに、木製ではなくプラスチック製が当たり前になってくると、家の中に装飾的な色や形の製品が増えていきます。ジャーが花柄だったり、電話器にひらひらのフリルをつけたり、昭和らしい装飾が生まれたのはこの頃ですね。

1960年代には、団地の生活に世間の注目が集まりましたが、1970年代に入ると私鉄沿線を中心に都下の開発が進み、都内の勤務先から小一時間かけて一戸建てやマンションの持ち家に帰るという暮らし方が増えていきます。日本の経済発展が進むにつれて、団地からマイホームへと憧れの対象が変化していきました。

橋本:家としての存在感を持つのはやはり一戸建てだと、少しずつ価値観が変化していきました。突然、農村に集合住宅地ができあがり、その一帯だけが都会文化を持ち、周りには何もないのに駅前にスーパーマーケットだけがある……そんな暮らしが始まったのです。つまるところ、団地の暮らしというのは、モダニズムの一瞬の輝きだったのかもしれません。僕は京王井の頭線に乗って高校へ通っていましたが、高校を卒業した後、久しぶりに井の頭線で吉祥寺へ行く機会があり、車窓の景色を見て驚きました。農地を宅地化した沿線開発によって軒並み住宅が建ち並んでいて、まるで洗濯物のトンネルの中を電車が走っていくかのようでしたね。

  • <模型>ひばりが丘団地(一部)(完成イメージ図) 縮尺1/1

  • リニューアル後の新設展示『変化を続ける東京』
    「花柄の魔法瓶(1970年頃 タイガー魔法瓶製)」

飛躍的な成長を遂げた東京の影の歴史を知る

リニューアル後の展示では、東京の地価の変遷や、増殖を続けた地下鉄の路線図を見せるスペースも設けられます。地価が上がり、住宅が都内から都下へ移っていき、都心の鉄道網は地下に張り巡らされていきます。

  • 増え続けるごみへの取り組みを紹介する映像

橋本:今は都心回帰が起きているようですが、
高度経済成長期にこぞってファミリー層が都下へ移動していったから、
都心周辺がかえって限界集落になっていると言われていますよね。自分の稼ぎで一戸建てを建てられる場所はどこだろう? と探し求める声に応えるように、あちこちで家が建ち始めます。

今回のリニューアルでは、高度経済成長の「負」の部分、都市問題に触れる展示も常設されます。大気汚染や水質汚濁、地盤沈下やゴミ問題……飛躍的な成長を遂げた東京の影の歴史から学べることがあると橋本さんは言います。

橋本:嘘みたいな話ですが、隅田川で写真が現像できたという話もありますからね。川に金属化合物がそのまま流れ込んでいましたから、試しに写真版を流し込んだら現像できた、と。当時はそこまで気にしてはいませんでしたが、東京オリンピックの頃は、やたらと空気がいがらっぽかった記憶もあります。発展に伴い、「負」の部分が生まれるのはやむを得ないこと。リニューアル後の展示では、そこもしっかり展示されるそうなので、これからの都市のあり方をそれぞれが見つめ直すヒントになるかもしれませんね。