現在の東京らしさの一端を担うような高層ビルが林立し始めるのは1970年代初めのこと。新宿駅の西側に広がっていた淀橋浄水場が閉鎖され、副都心開発が進み始めます。その先駆けとして開業したのが、京王プラザホテルでした。
橋本:あるとき、終電に乗り遅れてしまい、新宿から家まで歩いて帰ったのですが、ふと、淀橋浄水場のほうを見ると、目の前の空に四角く切り取った暗黒空間がそびえ立っている。その周りには星が光っているのだけれど、肝心なところが何も見えず、SF的な異空間が出現したかのようにただ暗い……それが建設中の京王プラザホテルでした。高層建築は未来志向の象徴でしたし、東京がスクラップアンドビルドを覚えたことをあらためて感じましたね。
今回は、高度経済成長を牽引した団塊の世代を代表して橋本さんにお話をうかがいましたが、意外にも、高度経済成長期の展示を「あまり懐かしくない」とも語る橋本さん。「むしろ、江戸時代の街並を再現した江戸ゾーンの模型を見たほうが懐かしく感じる」とのこと。その理由とは?
橋本:江戸時代の暮らしからは、しみじみと生きていた人の気配が感じられるからです。それと私の場合、浮世絵の影響も強いでしょうね。明治の風景は白黒写真でしか知りませんが、江戸の風景は浮世絵を通じてカラーで知っているわけですから。今は高速道路で見えませんが、私が育った甲州街道のそばでは、冬になると、晴れた日には真っ白い富士山が見えた。そこで頭によぎるのは、葛飾北斎「富嶽三十六景」のように、富士山を眺める江戸の人々の姿。風景を眺めるというのは、生きていく上での息抜きになりますが、かつては日常に小さな息抜きを与える風景がそこかしこに広がっていました。癒されるためにわざわざどこかへ行く必要なんてなかったのです。
高度経済成長で日本が獲得したもの、そして失った風景……。今回のリニューアルによって、江戸から現代まで繋がることで、これからの東京の姿が浮かび上がってくるのかもしれません。リニューアル後の江戸博の楽しみ方はどのように変わってくるのか、橋本さんにおうかがいしました。
橋本:江戸から順だって歴史を見ていくと、東京オリンピック後の東京が、江戸と切断されていることに気づくでしょう。でも逆に言えば、東京オリンピックまでは江戸と繋がっていたとも言える。その歴史の切断点とはどこにあるかを考える機会になるのではないでしょうか? 高度経済成長期以降の東京は、ノスタルジーを与える暇もなく忙しく変化を続けてきました。猛スピードで進むがゆえ手が回らずに、いくつもの失敗や過ちが生まれていたにも関わらず、その事実を消しゴムで消すかのように、まるでなかったことにして前進し続けたのが昭和という時代でした。しかしそうやって常に未来を目指しながらも、東京は歴史が残る街でもあるのです。江戸博は、その歴史性が街の良さに繋がっていると、新たに気づき直す場所であって欲しいですね。
歴史を細かに振り返るということは、自分たちの、そして住んでいる街のルーツを知るということに他なりません。橋本さんは歴史を訪ね歩く意義をこのように語ります。
橋本:私自身、『桃尻語訳 枕草子』を書くまで、平安時代という時代に興味が湧かなかったのですが、調べていくうちに、平安時代は江戸時代のルーツなのだと明確にわかったのです。そして、平安の文化が江戸の文化へと繋がり、近代文化を形成していく流れが見えてきた。現代は、生産力の向上によって物量的な発展のピークを迎え、頭脳的な方向にシフトチェンジしていると思います。でも、頭の中だけで解決しようとしているから、実体験が伴わないことも多く、頭脳的なやり方が疑われている時代でもありますよね。「古き良き時代」をむやみに懐かしむのではなく、歴史を振り返って、ある時代の「良い部分」から学ぶことにこそ、可能性の芽があるのではないかと感じています。
橋本治さんに聞く、高度経済成長期と東京の話はいかがでしたか? 足早に突き進んだ高度経済成長期の東京の姿を捉え直すためにも、江戸博のリニューアル後の展示がじっくり立ち止まって考えるきっかけになれば幸いです。江戸から現在の東京に繋がる400年の歴史を知ることは、これからの東京の行き先を照らし出すことにもなります。2020年にオリンピックを開催する東京がどのような変遷を辿ってきたのか、それぞれの時代の活気を感じながら巡ると新たな発見が生まれるのではないでしょうか。
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